うちの子は不登校

不登校を理解したい。でもおかんの心も折れそうです。

親だから

こんにちは、Otamaです。

 

不登校が始まった次女の中学一年生9月当時、私はフルで働いていました。

 

次女は三人兄妹の末っ子ということもあり、私が働いている間、兄妹の誰かと留守番することが多かったのです。

兄妹と留守番と言っても、少し年の離れた兄や姉とずっと一緒にいるわけではなく、ほとんど次女は自宅で一人で少していたのだと思います。

 

その時の職場は残業続きで毎晩8時過ぎに帰ることが多かった私は、帰りが遅いことでほったらかしになる子供たちのことが気になりつつも、「大丈夫!」と笑ってくれる次女の”大丈夫”にかなり甘えていたように思います。

中学一年生といえども、人によってはまだまだ寂しさを我慢している子供もたくさんいるのに。

 

フルで働いていたことで次女に寂しい思いをさせてしまったと思っています。

親子の会話が減ってしまった。

次女は私が家にいないその間ゲームにのめりこんでいったのです。

いつもタブレットから目を離さなくなっていました。

私は家にいないくせに、次女の顔を見れば、夏休みの宿題あれやった?これやった?と聞いては、「やった」という次女の言葉をそのまま信じたのです。

本当は何一つ進んでいなかった学校課題の提出物のことを知り、後から焦って期限に間に合わせるように、ただただやいやい言ってせかしたりしたこともありました。

 

自分で全部やれる子もいれば、親が気にかけてあげなければいけない子もいるのです。

わが家の場合、長男、長女の二人が大丈夫だったからと次女も放りっぱなしにいていました。でも兄妹でも同じようにいかない、ちがいがあることに早く気付くべきでした。

 

不登校が始まったとき、そんなふうに考えれば考えるほど自分を責めました。

親だからやっぱり自分を責めてしまうのです。

 

それから、次女の登校拒否が繰り返されるたび、なんで?が頭から離れないのです。

私はどこで間違えたのだろう。

どこから子育てをちゃんとできてなかったんだろう。

親子関係が悪いわけでもないのに、いったい何がいけなかったんだろう。

いや、親子関係が良いと思っているのは私だけなのか・・・

 

考えても考えても堂々巡りは続くのです。

結局、フルで働くのは辞めました。

一年くらい次女の帰りを待てるように家でいたことがあります。

それが功をなしたのかどうかはわかりませんが、ほとんど休まず学校に行けていた時期もありましたが・・・不登校って、そう簡単に治るものではないんですね・・・。

一瞬もう大丈夫だと手放しで喜んでいたこともありましたが、不登校は繰り返されるものだとのちのち知ることになり今に至ります。