うちの子は不登校

不登校を理解したい。でもおかんの心も折れそうです。

後悔していること。

こんにちは、Otamaです。

 

先日の次女の診察を横で見ていて、原因は次女の心の中ということを実感しました。

次女自身もわからず、それがもどかしく歯がゆく感じているようです。

 

とりあえず家庭にも、学校にも問題はない。

 

いじめではないことは、何よりもありがたいこと。

 

私も次女が「今日も学校休む」、と言うことに対して、今でこそようやく寛大になったというか、まぁいいかと思えるようになったのですが、中学一年生当時の夏休み明けの一ヶ月のまるまる不登校と、そのあとしばらくの定期的不登校はかなり身体的にも精神的にもしんどかったです。

 

しんどさでいうと、きっと次女のほうが何倍、何百倍もしんどかったはずなのですが、その時の私は、まだ心のどこかで休むことは、面倒くさいからだろうとかわがまま病だと思っていました。

まったく不登校が理解できていない親でした。

昨日までは機嫌よく登校していたのに、ある朝も朝食が終わってから「休んでいい?」と次女が言ったとき、「理由をちゃんと言ってよ。」と怒った顔で詰め寄っていた私はひどい親でした。

 

泣き出す次女の肩をつかんで、はっきり言ってくれないと休ませられない、と、その昨日までの機嫌の良さと、その朝の落差が理解できず、私も情けなくて泣きながら問いただしたことがありました。

自分でもなぜ学校にいけないかわからない次女にとって酷い拷問だったことでしょう。

私自身もいっぱいいっぱいだったと思うのですが、今、思い出すと後悔しかないのです。

 

よく覚えているのは、ポロポロ涙を流して泣く次女をみていると、やはり愛しさしかなかったこと。

可愛くてしかたなくて、でも、なんで学校行ってくれへんの?と悔しく思いながらもやっぱり愛しくて。

その時頭によぎったのが、もし無理に行かせて、命を絶つようなことがあったら・・・!

その考えが頭に浮かんだ一瞬で胃がずぅんと重く痛くなりました。

私は泣きながら次女を抱きしめ、分かった、休んでいいよ。と言いました。

 

次女を失うかもしれないという恐ろしい可能性を想像したとき、

 

「生きていてくれれば良い。」

 

だんだんと、そう考えるようになったのです。

 

不登校で休んでいてもなにか道はある。

少しでも力になれるよう努力しよう。

 

とにかく私自身焦らず、落ち込まず、明るく元気にいよう、そう思いました。