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限界と決心と。
こんにちは、Otamaです。
吐き出すこともできない期間が続いていました。
もともと内にため込む気質なのですが、つぶやくなり、だれかに聞いてもらうなりで解消できていたことさえ、できなくなっていました。
次女の不登校は今も続いています。
でも少し、私たち親子にとって希望が見えてきました。
そこにたどり着くにはもう少しかかりそうですが、その希望を見出すまでのお話を綴ります。
去年の12月初旬、次女はおおよそ半年ぶりに高校に行くと言い出しました。
期末テストを受けに行くと。
思い返せば、6月の中間テスト以来の登校と試験です。
家では全く勉強もしておらず、正直、テストをただ受けに行くだけ、と言った感じでした。
高校を辞めたいと言っていた次女が、進級を考えているのかも!!と思い、私は嬉しくなってしまいました。
すぐに担任の先生に連絡し、その旨を伝えると、先生も喜んでくれ、
「もし教室が嫌なら、別室でも試験を受けられるように手配します!」
とまで言ってくださいました。
それでも次女は
「大丈夫、教室で受ける」
と。
そうして一週間、次女は教室で期末テストを受けきりました。
毎日迎えに行き、彼女の表情を見ていると、暗くはなく、どちらかというと元気に帰ってきてくれていました。
そんな次女の頑張りが嬉しく、私はその期間、夢を見てしまいました。
もう次女は大丈夫なのではないだろうか。
このまま二学期残りと三学期は休まず行ってくれるのではないだろうか。
もう不登校は克服できたのではないだろうか。
などというたわいもない夢。
テストの後、テスト返しがあり授業自体はほぼ半日でしたが、次女は補習などもかねてお弁当持ちで受けていなかった実技のテストなども精力的に出席していました。
そんな次女の頑張りを目の当たりにしながらも、まだまだぬか喜びにすぎない、一喜一憂してはいけないと自分に強く言い聞かせつつ、それでも私は嬉しくて仕方なかったのです。
もう大丈夫なのではないだろうか。
そんな思いが日に日に強まりました。
友達と教室で楽しく過ごす次女を想像しながら私は心の中ではひそかに喜んでいました。
まもなく三者面談が始まり次女と成績を受け取りに高校へ行きました。
そこで突きつけられる現実。
担任の先生は、次女を褒めてくださり、そしてねぎらいながら、言いにくい話題に入りました。
あと、これだけ休むと進級できなくなる、と。
成績表には案の定まだ評価がつけられていませんでした。
それは期末テストに赤点が多く、実技テストや補習を経てこれからの追試できまるのですから。
そしてそれぞれの授業を休める回数が細かく書かれた紙を渡されました。
そこにはもう一回でも欠席するとアウトな科目もあり、もう後がないことを知らしめられたのです。
先生は、
「次女ちゃん、頑張れるか?」
と穏やかな声で次女に尋ねました。
次女は突然ポロポロと泣きだし、小さな嗚咽をもらしました。
最近の次女を見て、私は勝手な想像で夢見てしまった。
もう大丈夫だと思ってしまった。
でもこの子はやっぱり無理していたのだ。
本当は苦しかったのだ。
先生も私と同じように次女の頑張りに期待してくれていたのかもしれません。
先生の驚きも大きかったように思いました。
「いや!一回くらい休んでも、先生、学校にかけあって、もう少し休んでもいいように話してみるから!!次の会議で休める日を増やせるように言ってみるから!!」
いやいやいやいや、先生、無理なさらないで・・・っていうか、無理でしょうよ。
先生の激しい動揺で、私は一瞬深く落ちた奈落の底から、冷静に現在の位置に戻ってこれました。
静かに泣く次女を見て、私は自分の気持ちにはっきりやるべきことが浮かびました。
本当は、
できればこの高校に通ってほしかった。
このあたりで普通に見かける通学の風景に、次女がいることを想像したりしていました。
銀杏並木の舗道を、同級生たちと何気ない会話で笑いながら歩く風景を。
そんななんでもない多くの高校生が体験している日常の通学路を、次女がまたきっと歩いてくれることを想像したりしていました。
でもあんなふうに泣く次女を見て、もうこのまま様子をみて過ごすことは、次女にとってはなにも好転することはないのだと思い知らされたのです。
三者面談から帰った次女は、先生から渡されたたくさんの課題をリビングの机に置きました。
もうやらないだろうな、という私の思いとは裏腹に、年末年始の補習と追試は受けると言う次女。
私は複雑な気持ちでした。
課題に手を付けるも半年間抜けている学習を、一人で取り戻すのは至難の業です。
できないところは空けて、わかるところだけでもと、次女は頑張っていました。
私はそんな次女を見守るしかありませんでした。
そして終業式の翌日から始まった補習授業一日目。
お昼には一人でも食べやすいようにおにぎりを握って持たせました。
仕事が終わり家に帰ると同時に、家の電話が鳴りました。
ディスプレイを見ると、学校から。
不安を感じながら出ると、担任の先生から、次女が一限目の授業の途中からおなかが痛くなり保健室にいるから迎えに来てあげてくださいとのこと。
慌てて学校に向かうと、玄関で先生が申し訳なさそうに待っていてくれました。
私は先生に言いました。
「もう無理ですね・・・」
先生は、
「課題のことも気づいてもっと見てあげればよかったです。きちんと寄り添ってあげれなくてかわいそうなことをしました。本当に申し訳ない・・・。」
と頭を下げてくれました。
昇降口から出てきた次女に、大丈夫?と声をかけると、次女は私に、ごめん、と言いました。
次女の背中をなでながら、先生に明日からの補習と追試を諦めることを伝え、学校を後にしました。
車に乗り込み、次女を見ると、今のままではいけないこと改めててはっきりわかりました。
それは三者面談のときに感じたことと同じでした。
私は運転しながら、うつむく次女に、
「次女ちゃん、高校、辞める?それか、通信制の高校にうつる?」
と尋ねました。
次女は顔を上げ、
「通信制に行きたい」
とはっきり答えました。
とにかく何でもいい、何か違う方向があるのなら、次女が生きやすい方法があるのなら、今の状況を変えてあげたい。
次女と話して、通信制の高校に転学することを決めました。
私たちは、今、通信制高校への転学に向けて動き始めました。
気にしない、の限界。
こんにちは、Otamaです。
先週、次女を絵画教室に送っていくとき、助手席に次女を乗せていました。
車で出かけようとしていた時、偶然小中高と同じ同級生の子の父親に出会いました。
相手は自転車でノーマスク。 顔が良く見えました。
彼は次女を見つけ、一瞬驚いたような表情をしました。
そのあとも彼の視線は次女にロックオン状態なのが分かりました。
私が気になったのは、彼の口元があからさまにニヤニヤ笑ったことでした。
地元でも知られている次女の不登校。
珍しいものを見たと思ったのでしょう。
そしてその翌日も、買い物に出かけた時、たまたま次女の同級生のママと出会ったのです。
その時は私一人だったのですが、次女を心配してくれている感じで立ち話が始まりました。
次女はそのママの子供とも同じ高校なのですが、話しているうちに、そのママは次女が高校を辞めたと思っていることが伝わってきました。
さりげなく6月から休んでいると口に出すと彼女はすごく驚いたので、やっぱりやめたと思っていたんだと確信しました。
その父親も、そのママも、決して悪意はないのだけど、そして本当に心配もしてくれているのかもしれないけれど、興味本位の表情と言葉はわかりやすいのです。
私は近所の目も、他人のうわさも気にしない、そして次女をよその子と比べることもしないように、など日ごろから心がけてはいるのです。
それでもやっぱり正面から飛び込んでくる相手の表情や言葉を目の当たりにすると心に重くのしかかるのです。
気にしなければいい、それができなくなるのです。
だんだん内にこもる感情がふくらんでいるのが自分でもわかるくらいになってきました。
吐き出さないと壊れそうです。
そんな「ううう・・・」と耐え忍ぶ自分と、あっけらかんと「ケセラセラ~なるようになる~」と歌う自分が二人心の中に存在して、私自身は耐え忍ぶ自分の背中を「大丈夫、大丈夫」とさすってあげるのですが、さすりながら泣いています・・・
ああ、もう何を言っているのでしょう、私は。
子供のころから辛いことは自分で解決してきました。
大人になってもそれは同じで、誰に話しても仕方ないと思い、次女の不登校の辛さもブログで吐き出すようになったものの、そろそろセルフケアにも限界が来ているのかもしれません。
通い始めた絵画教室
こんにちは、ご無沙汰しています、Otamaです。
実は先月末から次女が絵画教室に通い始めました。
きっかけは職場の同僚からの紹介です。
以前からその絵画教室のことはなんとなく耳にしていましたが、小さな子供さんが対象だと思っていたのです。
でも同僚によると子供から大人まで幅広く教えていらっしゃる教室だそうで、思い切って体験教室を申し込みました。
まだこの時は次女の承諾は得ていませんでしたが。
その日も家に帰ると、リビングでタブレットに向かいイラストを描いている次女がいました。
私はそれとなく
「ねぇねぇ、次女ちゃんはデッサンとか興味ないの?」
と聞いてみました。
次女は「きちんとやったことないからやってみたいねん。興味ある。」
と私の顔を見て言ったのです。
「体験行ってみる?」
「いつ?」
「明日!」
と、とんとん拍子に行くことが決まりました。
先生にもあらかじめ次女のことを伝えたところ、
「うちにはいろんな子供さんがいらっしゃいますよ。」
と、笑ってくれました。
その絵画教室は、小さな子供の楽しい絵画教室でもあるのですが、大学受験のためのデッサンから水彩画、そしてコンクールなどにも積極的に作品を出しているような教室だそうです。
おもしろいのはデジタルイラストにもアドバイスをしてくれるようで、見せていただいた生徒さんの絵は、躍動感のあるデジタルイラストだったのです。
次女もそこそこ上手だと思っていたのですが、平面的なイラストなのだと一目瞭然でした。
指導してくださる先生は
「私は子供たちに描きたいものを好きなだけどんどん好きに描かせます。そしてちょっとアドバイスするだけです。」
と言われました。
以前、私は仕事の関係で、ある小学校の図工で子供たちが自画像を描く授業を身近で見たことがありました。
その先生は子供たちに、肌色、黒、白、(制服の)藍色の4色の絵の具を指定し、その決まった4色しか使ってはいけない、さらに顔はこの大きさで描きなさい、といった指導をされていて、違う描き方をする生徒には間違っている、そのやり方はダメ!と強く注意をしていました。
そんな指導のうえ、できあがった生徒達の絵は恐ろしくすべて同じに見えたことが衝撃的で、とても悲しくなったことがありました。
なので、自由に絵を描かせてもらえることは次女にとって安心だと思えたのです。
そうして通い始めた絵画教室。
学校は相変わらず登校拒否のままですが、絵画教室には足しげく通うようになりました。
まだ話をしたりする友達はできてないようですが、自分から行きたい、やりたい、と思うようになってくれたのは少し進歩したのだと嬉しく思う私なのでした。
あの中に次女はいない
こんにちは、Otamaです。
先月は高校を辞める辞めないの攻防で親子関係は、やや険悪でした。
もうそんなに辞めたいのであれば辞めさせてあげてもいいのではないか・・・と思っていたにもかかわらず、いざ次女に辞めたいと言われたとき、あんなにも自分が動揺してしまうとは思いませんでした。
辞めるといわれたとき、私の心は次女の意見に全く反対だったのです。
これが私の本心なんだろうなぁと改めてわかりました。
やっぱりやめてほしくないんですよね。
親の・・・いえ、私のエゴでしょうか。
またその先どうするのかという話になったとき、あまりの甘い考えに納得もいかず腹が立つほど。
そんなふうに子供に寄り添えない私のような親が本当は一番ダメなのでしょう。
わかっていてもなかなか賛同できませんでした。
そして先日、次女の高校の文化祭が非公開で行われました。
その日はもしかして行ってくれるかもしれない、という祈りを込めて文化祭の日、私は頼まれてもいないのに次女を学校まで送り届ける予定で会社の出勤時間を遅らせてもらうように上司にお願いしていました。
文化祭前日の夜、お弁当の用意も炊飯のタイマーもばっちりで寝ようと思ったとき、次女が私のところにやってきて
「明日、やっぱり行かんでいい?」
と聞いてきました。
「なぜ私に聞く?」と思わず声に出してしまいました。
期待をあっさり裏切られた私は、続けて
「せっかくの文化祭なのに行ってみたら?」
と言い登校を勧めるも、次女の心山のごとく動かず。
腹の立つ気持ちと悲しい気持ちと・・・その夜はやるせなさでいっぱいでした。
それからまた不登校は続いており、今学期に入ってからまだ一度も学校へ登校はできていません。
先日も用事で次女の高校の前を通ったとき、その日が体育祭だったことをしりました。
あの中に次女はいない。
遠くのフェンス越しに見える学生たちがたくさんいる風景に、うちの次女はいませんでした。
たくさんの笑顔と声援と、競技を楽しむ学生たちの風景。
楽しそうだな・・・
でも次女はあの中にいないんだ・・・。
そう思うとハンドルを握りながら、涙で視界がぼやけました。
もうどうしたらいいのかわからない。
次女のメンタルも然り、親のメンタルもなかなかやられますね。
しんどいなぁ。
自暴自棄になりそうな私は日々仕事に精を出しております。
親は逃げ場もないですね。
逃げ場もない私は、現実逃避が早朝出勤にかわりました・・・。
私の職場には早朝出勤があるのですが、子供がいるのでなかなか毎日とはいかず、できるだけ週末と祝日だけにしていたのですが、もうその心配もないほど次女は不登校。
家にいたくない気持ちからここ数日、毎朝5時すぎに家を出て仕事に向かうようになりました。
勤務先には喜ばれてますが。
あぁ・・・しんどいなぁ。
あかん!愚痴ばかり言っていてはいけませんね。
考えろ、考えろ、自分にできる最大のこと!!
今の俺にできることは(by炭治郎)
・・・早朝出勤!!
来週もがんばろっと。
白い彼岸花
こんにちは、Otamaです。
仕事から帰るとソファで寝ている次女をみて今日もため息ひとつ。
私に気づくと眠そうな目をこすり「おかえり。」と言いました。
「ただいま。」と私は小さな声で返事しながら
先日、9月いっぱいで高校を辞めたいと言った次女のことを考えていました。
その話もうやむやなまま次女は毎日昼夜逆転の生活を送っています。
この先どうするつもりなんだろう。
行きたい大学はある、でも高校は行きたくない。
高校を辞めて高卒認定試験をうけると簡単に言いますが、一日のほとんどをリビングのソファで過ごし、片手にスマホでSNS、もう片手にタブレットでお絵描き、疲れたら昼寝して、夜になって自分の部屋に行ってもそのまんま。電気をつけっぱなしで寝落ちして、昼前まで爆睡。
目覚めるとリビングに降りてきて、片手にスマホ、もう片手にタブレットというその一日のルーティン。
高卒認定試験って、自分で勉強しなきゃとれないのわかっているのかな。
担任の先生が家庭訪問にも来てくれて、教室が嫌なら別室に登校してもいいよとまで言ってくれました。
そして今はリモート授業なので、家でも授業は受けれるのに。
次女の自信を取り戻すために、励まして、褒めて、楽しく過ごせるよう努めています。
疲れて仕事から帰って、寝ている次女を見て悲しくなるのに笑顔で接しています。
どこで私は間違えたんだろう。
彼女に私はどんな影響を与えてしまったんだろう。
三番目の子供だから正直子育ての慣れもあり、長男長女よりはるかに可愛がり甘やかしてしまった。
それが悪かったのでしょうか。
仕事中も気づけばずっと自分の子育てを思い返し、どこで、どこからこうなってしまったのかを記憶の中から探してしまうのです。
最近さらに心の余裕がなくなっています。
換気をしようとリビングの窓を開けながら、庭先に目をやるとレモンの木のそばに白い彼岸花が咲いていました。
おととし、隣のおばちゃんに株分けしてもらった白い彼岸花。
去年からうちの庭でも咲き始めました。
おばちゃんは去年の春先、心筋梗塞で入院しましたが彼岸花が咲くころにはまた元気に家に戻って日常を取り戻していました。
いつもおばちゃんはお彼岸になると手作りのおはぎを持ってきてくれました。
私がこの場所に住み始めてもうすぐ20年。
おばちゃんはずっと優しくしてくれた人です。
去年の11月、そんな大好きなおばちゃんが救急車で運ばれ、帰らぬ人となりました。
一人暮らしだったおばちゃんの家は、おばちゃんがいなくなってしばらく寂しそうに感じました。
おばちゃんは少し耳が遠かったので、いつも家からはテレビの音が漏れ聞こえていたのです。
おばちゃんがいなくなってから、私は毎朝洗濯をほしながら、テレビの音の聞こえない静まり返ったおばちゃんのお家の窓に向かって「おばちゃん、おはようございます」と、心の中で挨拶をしていました。
そんなことを考えていると、玄関のチャイムが鳴ったでのです。
おばちゃんが住んでいた家に三か月前に越してきた、おばちゃんの息子さんの奥さんでした。
手にはなにやら包みが。
「もしかして・・・おはぎですか!?」
「そうよ~。でも私のおはぎ、甘いかも~。」
と、奥さんが笑って言いました。
お礼を言って受け取り、家に入ってからそっと包みを開けると、おばちゃんが作っていたおはぎとそっくりなおはぎが並んでいたのです。
きっと奥さんが受け継いでくれたんだ。
旦那が帰ってきておはぎをみせると、おばちゃんのおはぎの熱狂的ファンだった旦那もとても嬉しそうでした。
口に入れると、あんこの味も、おばちゃんが炊いていたのと同じ小豆の味がしました。
おばちゃんがいなくなってから、閑散としていたおばちゃんのお家も、息子さんご夫婦が住むようになり少しづつ元気を取り戻しているかのように庭先に白い彼岸花を咲かせていました。
そういえばおばちゃんはうちの子供たちをよく褒めてくれました。
どこで出会っても挨拶してくれるよと。
次女のことも
「いつも恥ずかしそうに挨拶してくれる。挨拶のできる子が一番や。上手に育てたね。」
と、言ってくれたことを思い出しました。
ああ、こんなに自信のない子育ても、おばちゃんは褒めてくれたのです。
そして次女のことも。
そういえば、次女は起きてきたら「おはよう」と自分から言います。
寝るときも「おやすみ」と言う。
当たり前だけど、当たり前じゃないんだな。
今日も「おかえり」って言ってくれたんだったな。
一日中寝てばかりだけど、次女は挨拶のできる子だ。
それは大切ですごいことなんだ。
忘れるところでした。
あと少し、もう少し、頑張ってみよう。
お彼岸になるとおばちゃんに想いを馳せて、次女を褒めてくれたこと、私の子育てを褒めてくれたことも一緒に思い出そう。
新学期の憂鬱
こんにちは、Otamaです。
コロナの影響で始業式が延びていました。
今日からいよいよ次女の新学期が始まります。
起きる様子もなかったので、部屋をのぞきに行くと部屋の電気は一晩中点いたまま明々と照らされた床で、次女はスマホを握りしめ寝落ちしていました。
自然とため息が出ました。
でもここでたたき起こして
「行くの!?行かないの!?」
とは聞けません。
いや、聞いてはいけないのです(たぶん)。
私は次女の肩をポンポンと軽くたたき、「今日はどうする?」と聞きました。
眠い目をこすりながら次女は首を横に振ったのです。
「わかった。先生に電話しとくね。」
と、私はリビングに戻り、学校に電話をかけました。
いつもの事務の人が電話に出てくれました。
「いつもお世話になります。1年〇組の○○です。担任の先生もう来られていますか?」
夏休みの40日間プラス二週間ぶりの電話でした。
またこれから毎日かけなければいけないのかと思うと胃が痛く感じます。
担任の先生が電話口に出てくれ、今朝の状態を伝えました。
「お母さん、まだエネルギーが溜まっていないんです。また私も顔を見に行きますし、このまま応援していきましょう。」
と言ってくれました。
夏休みにも元気にしてるか、と、ただ次女の顔を見に来てくれ世間話をしてくれたりと、ありがたい反面、本当に申し訳なく思うのです。
「先生、でも、もう無理かもしれません。また辞めるって言ってました。」
思わず涙が出そうになり、それを我慢するとのどがヒリヒリしていました。
先日、次女が嫌ならもう高校を辞めてもいいと思ったのに、いざ口に出すと私はこんなに悲しく感じるのです。
次女の良いところを毎日見つけて褒める。
次女が楽しく過ごせるよう努める。
私が笑顔でいること。
全部意味がないように思えるのでした。
それでも担任の先生は大丈夫だと、気長にやりましょう、と私をも励ましてくれました。
こんな親子のせいできっと先生にはたくさんご迷惑をおかけしてしまっているのがまた心苦しい。
やるせない気持ちをかかえながら私は職場に向かいました。
心と裏腹に、顔に笑顔を張り付けて仕事をする。
家でも職場でも笑顔でいるようにしているけれど、やっぱりしんどいものです。
家に帰ったら今日は子供たち三人家にいるんだなぁ・・・
と思うと、現実逃避したくなりました。
一人でどこかへ行きたい願望。
とにかく泣きたかったのです。
だれもいない場所で一人で泣きたかったのです。
でも帰るところは家しかない私は、いつもどおり「ただいま!」と言って玄関のドアを開けました。
いつもの玄関に、ふんわりと甘い香りが漂ってきました。
リビングのドアを開けると、「おかえり!」とキッチンに立つ子供たちが目に入りました。
フライパンを持つ長男。
お皿を運ぶ長女。
次女は焼き立てのホットケーキにメイプルシロップをかけていました。
そう、珍しく子供たちがホットケーキを焼いて待っていてくれたのです。
テーブルにつくなり私の分の焼き立てのホットケーキが目の前に置かれました。
甘い甘いメイプルシロップと溶けかけたバターがナイフを入れたホットケーキにしみ込んでいきました。
なんて美味しそうな・・・
朝からの憂鬱な気持ちもホットケーキの甘い香りに包まれて、バターと一緒に溶けてしみ込んで私の喉元を通り過ぎました。
本当においしいなぁ。
幸せってこういうことなんだな、と改めて感じました。
家族の、子供たちのあたたかさに救われる。
朝の先生との電話を思い出しました。
朝、意味がないかもしれないと自信が揺らいだことも、また信じる力が湧いてきました。
泣きたかったのに、張り付けた笑顔じゃなくもう普通に笑えました。
なんと私は単純なのでしょう。
自分でびっくりしました。
でもまたきっとこれからもこの気持ちの浮き沈みを繰り返すのでしょうね。
だけどへこたれないように頑張らなくては!