気にしない、の限界。
こんにちは、Otamaです。
先週、次女を絵画教室に送っていくとき、助手席に次女を乗せていました。
車で出かけようとしていた時、偶然小中高と同じ同級生の子の父親に出会いました。
相手は自転車でノーマスク。 顔が良く見えました。
彼は次女を見つけ、一瞬驚いたような表情をしました。
そのあとも彼の視線は次女にロックオン状態なのが分かりました。
私が気になったのは、彼の口元があからさまにニヤニヤ笑ったことでした。
地元でも知られている次女の不登校。
珍しいものを見たと思ったのでしょう。
そしてその翌日も、買い物に出かけた時、たまたま次女の同級生のママと出会ったのです。
その時は私一人だったのですが、次女を心配してくれている感じで立ち話が始まりました。
次女はそのママの子供とも同じ高校なのですが、話しているうちに、そのママは次女が高校を辞めたと思っていることが伝わってきました。
さりげなく6月から休んでいると口に出すと彼女はすごく驚いたので、やっぱりやめたと思っていたんだと確信しました。
その父親も、そのママも、決して悪意はないのだけど、そして本当に心配もしてくれているのかもしれないけれど、興味本位の表情と言葉はわかりやすいのです。
私は近所の目も、他人のうわさも気にしない、そして次女をよその子と比べることもしないように、など日ごろから心がけてはいるのです。
それでもやっぱり正面から飛び込んでくる相手の表情や言葉を目の当たりにすると心に重くのしかかるのです。
気にしなければいい、それができなくなるのです。
だんだん内にこもる感情がふくらんでいるのが自分でもわかるくらいになってきました。
吐き出さないと壊れそうです。
そんな「ううう・・・」と耐え忍ぶ自分と、あっけらかんと「ケセラセラ~なるようになる~」と歌う自分が二人心の中に存在して、私自身は耐え忍ぶ自分の背中を「大丈夫、大丈夫」とさすってあげるのですが、さすりながら泣いています・・・
ああ、もう何を言っているのでしょう、私は。
子供のころから辛いことは自分で解決してきました。
大人になってもそれは同じで、誰に話しても仕方ないと思い、次女の不登校の辛さもブログで吐き出すようになったものの、そろそろセルフケアにも限界が来ているのかもしれません。