白い彼岸花
こんにちは、Otamaです。
仕事から帰るとソファで寝ている次女をみて今日もため息ひとつ。
私に気づくと眠そうな目をこすり「おかえり。」と言いました。
「ただいま。」と私は小さな声で返事しながら
先日、9月いっぱいで高校を辞めたいと言った次女のことを考えていました。
その話もうやむやなまま次女は毎日昼夜逆転の生活を送っています。
この先どうするつもりなんだろう。
行きたい大学はある、でも高校は行きたくない。
高校を辞めて高卒認定試験をうけると簡単に言いますが、一日のほとんどをリビングのソファで過ごし、片手にスマホでSNS、もう片手にタブレットでお絵描き、疲れたら昼寝して、夜になって自分の部屋に行ってもそのまんま。電気をつけっぱなしで寝落ちして、昼前まで爆睡。
目覚めるとリビングに降りてきて、片手にスマホ、もう片手にタブレットというその一日のルーティン。
高卒認定試験って、自分で勉強しなきゃとれないのわかっているのかな。
担任の先生が家庭訪問にも来てくれて、教室が嫌なら別室に登校してもいいよとまで言ってくれました。
そして今はリモート授業なので、家でも授業は受けれるのに。
次女の自信を取り戻すために、励まして、褒めて、楽しく過ごせるよう努めています。
疲れて仕事から帰って、寝ている次女を見て悲しくなるのに笑顔で接しています。
どこで私は間違えたんだろう。
彼女に私はどんな影響を与えてしまったんだろう。
三番目の子供だから正直子育ての慣れもあり、長男長女よりはるかに可愛がり甘やかしてしまった。
それが悪かったのでしょうか。
仕事中も気づけばずっと自分の子育てを思い返し、どこで、どこからこうなってしまったのかを記憶の中から探してしまうのです。
最近さらに心の余裕がなくなっています。
換気をしようとリビングの窓を開けながら、庭先に目をやるとレモンの木のそばに白い彼岸花が咲いていました。
おととし、隣のおばちゃんに株分けしてもらった白い彼岸花。
去年からうちの庭でも咲き始めました。
おばちゃんは去年の春先、心筋梗塞で入院しましたが彼岸花が咲くころにはまた元気に家に戻って日常を取り戻していました。
いつもおばちゃんはお彼岸になると手作りのおはぎを持ってきてくれました。
私がこの場所に住み始めてもうすぐ20年。
おばちゃんはずっと優しくしてくれた人です。
去年の11月、そんな大好きなおばちゃんが救急車で運ばれ、帰らぬ人となりました。
一人暮らしだったおばちゃんの家は、おばちゃんがいなくなってしばらく寂しそうに感じました。
おばちゃんは少し耳が遠かったので、いつも家からはテレビの音が漏れ聞こえていたのです。
おばちゃんがいなくなってから、私は毎朝洗濯をほしながら、テレビの音の聞こえない静まり返ったおばちゃんのお家の窓に向かって「おばちゃん、おはようございます」と、心の中で挨拶をしていました。
そんなことを考えていると、玄関のチャイムが鳴ったでのです。
おばちゃんが住んでいた家に三か月前に越してきた、おばちゃんの息子さんの奥さんでした。
手にはなにやら包みが。
「もしかして・・・おはぎですか!?」
「そうよ~。でも私のおはぎ、甘いかも~。」
と、奥さんが笑って言いました。
お礼を言って受け取り、家に入ってからそっと包みを開けると、おばちゃんが作っていたおはぎとそっくりなおはぎが並んでいたのです。
きっと奥さんが受け継いでくれたんだ。
旦那が帰ってきておはぎをみせると、おばちゃんのおはぎの熱狂的ファンだった旦那もとても嬉しそうでした。
口に入れると、あんこの味も、おばちゃんが炊いていたのと同じ小豆の味がしました。
おばちゃんがいなくなってから、閑散としていたおばちゃんのお家も、息子さんご夫婦が住むようになり少しづつ元気を取り戻しているかのように庭先に白い彼岸花を咲かせていました。
そういえばおばちゃんはうちの子供たちをよく褒めてくれました。
どこで出会っても挨拶してくれるよと。
次女のことも
「いつも恥ずかしそうに挨拶してくれる。挨拶のできる子が一番や。上手に育てたね。」
と、言ってくれたことを思い出しました。
ああ、こんなに自信のない子育ても、おばちゃんは褒めてくれたのです。
そして次女のことも。
そういえば、次女は起きてきたら「おはよう」と自分から言います。
寝るときも「おやすみ」と言う。
当たり前だけど、当たり前じゃないんだな。
今日も「おかえり」って言ってくれたんだったな。
一日中寝てばかりだけど、次女は挨拶のできる子だ。
それは大切ですごいことなんだ。
忘れるところでした。
あと少し、もう少し、頑張ってみよう。
お彼岸になるとおばちゃんに想いを馳せて、次女を褒めてくれたこと、私の子育てを褒めてくれたことも一緒に思い出そう。