うちの子は不登校

不登校を理解したい。でもおかんの心も折れそうです。

勝者のゴールデンメンタル

こんにちは、Otamaです。

 

コロナ渦のオリンピック、その舞台に立つアスリートたちには本当にたくさん感動を与えてもらいました。

 

もしあの場にいるのが私なら緊張感で・・・吐くか、過呼吸か、倒れるか・・・

そもそも選ばれることもないけれど、テレビを見ているだけで緊張しました。

 

その場にいる選手たちの緊張感たるや・・・。

 

やはり、彼らの一番の強さは「心」なんだろうと、しみじみ思いました。

 

もともとはきっと強くない人もいたでしょう。

でも体を鍛えるとともに心の強さもそなわったであろうし、さらにメンタルトレーニングにも力を入れたんだろうな。

 

私はここ数年更年期もあり、なにかと気持ちが沈むことが多いのです。

あまり表に出さないように努めているのですが、一人っきりになると洗濯物を干しながら静かに泣いてしまったりするときもあります。

泣いたら少しすっきりする気がして。

 

でも沈んでばかりではだめだと思い、読み始めた本があります。

「勝者のゴールデンメンタル」メンタルコーチの飯山晄朗氏の本です。

 

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勝者のゴールデンメンタル「心が強くなる35の習慣」

 

次女の前では元気な母親でいたいと思います。

 

「休みたい」と言われたとき、いつも「はいよ!」と明るく返事をしてあげたい。

 

終業式の日はそう言ってあげられませんでした。

次女はきっと私の沈んだ声に気づいていたと思うのです。

 

この本に、「笑顔は感情コントロールに使いやすい」とあります。

 

”笑う門には福来る”

 

ということわざがあるように、笑顔でいることで、楽しい、うれしい、最高だ、というようなプラスの感情を引き出してきてくれるそうです。

 

「プラスの言葉や笑顔を取り入れて心をプラスにコントロールしていこう」

 

これからも何度「休みたい」を聞くかわからないですが、口角をあげていくぞ。

きっとまだ何度も何度もへこたれてしまいそうですが、メンタルを鍛えたいと思います。

決められた世界

こんにちは、Otamaです。

 

自分の子供時代や、また子供を育ててきて思ったことがあります。

 

不登校にかかわらず、子供の生まれ育った環境というものは大きい。

小学、中学生時代は、私立に行かない限り、その地域で指定された学校に進学しなければいけないということ。

 

せまい地域の小さな校区。

 

それは子供にとって、居心地の良い場所であれば問題はないのですが・・・。

 

でも子供の世界は過酷だったりするので、気の合わない子やいじめやしんどいことが重なると、しかたなくその場で生きていくことになるのです。

そりゃ学校へ行きたくなくなるでしょう。

区切られた範囲内での学校生活を余儀なくされるのだから。

 

高校生になると、公立なら県内という範囲まで広がるのですが、これも田舎の交通手段が限られている子供にとっては自由に選べるわけでもないのです。

家庭の事情で経済的なことも考えるとある程度の通学県内ということになるわけで。

 

ここでまた我慢させてしまうことになるのです。

 

もしわが家が大金持ちだったら・・・

 

もっと次女の好きな高校に行けせてあげられたのに。

好きな学科に進ませてあげられたのに。

 

なんていつも考えてしまうのです。

 

私自身も実は周りとの違和感を感じながら子供時代を過ごしていました。

高校まで全部地元で進学したのですが、高校を卒業して県外の専門学校へ進学したとき、そこで初めて自分と同じ感覚をもつ仲間に出会えたと思いました。

また周りに合わせなければ認めてもらえないという呪縛から解き放たれ、自由になれた喜びを覚えています。

 

当時はインターネットもSNSもない時代。

共有し、共感できる仲間が初めてできたのがその専門学校だったのです。

学生生活があんなにうれしくて楽しかったことは初めてでした。

 

同じことを好きな仲間がいることは、とても大切なことだと思いました。

 

不登校の子供でも、もし夢を持てたのなら、きっといつか同じ夢を持つ仲間に出会えると思うのです。

 

次女も高校を辞めることはまだきっと選択肢で持っていると思うのですが、絵を描くことを楽しいと思えるのなら、一緒に彼女の進む道を探したいと思っています。

 

私がそうだったように、同じ感覚を持つ仲間にと出会う喜びを知ってもらいたいから。

 

もし我慢して今をやり過ごしている次女のような子供たちがいるのなら、みんないつかこの決められた世界から、自分の作る世界に踏み出せるといいな。

そう願ってやまないのです。

登校日

こんにちは、Otamaです。

 

つい最近、次女の登校日がありました。

 

登校日といっても、文化祭にむけての準備で自由参加みたいなものだったのですが。

 

夏休み前にもその話はしていたのですが、行く気はないんだろうなぁ・・・と、思っていましたし、実際本人も夏休みはずっと家にいるつもりのようでした。

 

登校日の前日、次女の仲良しのAちゃんからLINEが来たようで、

 

「明日、行こうかな・・・」

 

と、次女がポツリとつぶやきました。

 

私はおもわず心の中で飛び上がって喜んでいたのですが、その喜びを悟られないよう

 

「うん、行っておいでよ」

 

と、普通ににこっと笑って返事をしました。

 

登校時間に仕事の私に代わって長女が高校まで送ってくれることになりました。

 

そして当日、二女は朝食をとり、時間が来ると制服に着替え、長女に送ってもらい無事に登校できたのです。

 

仕事から帰ってくると、久々に誰もいない一人の家でした。

 

コロナ渦で家にいる時間が増えた子供たちのおかげで、仕事から疲れて帰ってきても常に誰かがリビングにいて、それは私にとって実は結構なストレスの一つになっています。

 

この貴重な一人の時間、何をしよう!!

 

と、少し心がときめいたのですが、結局いつもどおり洗濯物を入れたり畳んだり夕ご飯の下ごしらえなんかをしていると、あっという間に時間は過ぎ、次女からお迎え要請のLINEが来ました。

 

あぁ・・・一瞬の一人時間。

 

そんなお母さんが多いのではないでしょうか。

 

そして次女に

”すぐ行くね!”

と送ると

 

”ありがとう”

と返信がきました。

 

いつもの待ち合わせ場所へ車で向かうと次女が立っていました。

 

すこし疲れた顔をしていたのですが、機嫌は良さそうでした。

 

次女が車のドアを開けた瞬間、「おかえりー」と声をかけると

 

「ただいま」と言いながら次女は車に乗り込みました。

 

「たくさん人来てた?」

 

「ううん、3分の1くらい」

 

「だれかと喋った?」

 

「ううん、Aちゃん以外とは物の貸し借りくらい」

 

「そうかぁ。」

 

そんな会話をしながら、クラスメイトとの距離にまた少し心配になりました。

話しかけてくれる子はいなかったのかな・・・

その場所でいる次女を思うと少し寂しく、切なくなってしまったのです。

 

でもまだこれからだ。

うん、これからだ。

 

いやいや、私が期待して焦ってどうする。

別に新しい友達をつくらなくてもいいんだ。

囚われなくていい。

 

なにごとも型にはまった考え方をしてしまう自分を反省。

 

「あ!担任の先生は来てた?」

 

「うん」

 

「なんか言ってた?」

 

「来たこと褒めてくれた」

 

「そうなんや~(嬉しい)」

 

「副担任の先生はみんなにジュース買ってくれたねん。先生にこのお金はどこから出てるんですか?って聞いたら、”僕の給料から”って言ってた。」

 

ってそんなこと聞いたんかい!(副担任の先生、ありがとうございます)

 

とりあえず、Aちゃんに誘ってもらったおかげで、一歩前進。

 

次女にとっては勇気がいることだっただろう。でもそれが大きな一歩になったはず。

 

「今日はよくがんばったね。お疲れ様。」

 

と、次女に声をかけると、「うん。」と言ってにこっと笑いました。

まだまだ手放しで喜んだりはできないのでしょうけれど、少しずつの積み重ねがきっと次女の自信につながるはず。

 

クラスになじめていないことが、クラスメイトとの距離に表れていて心配ではあるのだけれど、きっとこれからわかってくれる子もいるかもしれない。

 

私の中にはもどかしさと、焦りと、不安がときおり顔を出すけれど

 

「今日、学校へ行けた」

 

という次女のがんばりを、とにかくしばらく褒めたいと思います。

褒めて褒めて褒めまくる

こんにちは、Otamaです。

 

6月の後半に、次女の担任の先生と初めてお会いした時に、先生が強くおっしゃられたことは、

 

「とにかく次女さんを褒めて褒めて褒めまくってあげてください」

 

それは森田直樹先生の「不登校は1日3分の働きかけで99%解決する」という本にも書かれていることでした。

 

不登校の子どもの持つ、小さな心のコップに、あふれるほど毎日毎日自信の水を注ぐのです。

 

でも心のコップに溜まった水は、誰かの些細な言葉で傷ついたり、やる気がなくなるこどですぐになくなってしまいます。

 

そんな子供に対して親の私たちのできることは、褒め続けること。

 

子供が何かしてくれたら、お礼に「ありがとう」というのです。それは当たり前のことなのですが、

 

その「ありがとう」に、もう一つ褒める言葉を付け足すのです。

「次女のおかげで、助かったよ!ありがとう」

「細かいところもよく気が付くね、ありがとう」

 

私もまだまだ褒めるのも下手ですが、最近は素直にうれしい気持ちを伝えるようにしています。

 

絵を描くのが好きな次女は、ときどき描いた絵を見せてくれたり、私がパソコンで絵を描くとき、お絵描きツールの使い方を教えてくれるのです。

 

そんなときもなるべく素直にすごいと思う気持ちを伝えるようにしています。

 

そうやって褒めることでまた自信の水が溜まっていくそうです。

 

でもまたもしかして誰かの些細な言葉で傷ついたり、やる気がなくなることですぐに心のコップの水が減ってしまう。

 

そういうことは何度も何度も繰り返されるのです。

 

でもそうすることで、子供の心の小さなコップも少しずつ少しづつ大きくなっていくそうなのです。

いわゆる器の大きな人、ってことですね。

とにかく私はポジティブに褒めることに徹します。

 

少しづつ・・・三歩進んで二歩下がるくらいの気持ちで。

 

いまはその心の成長を信じて褒めて褒めて褒めまくる!

 

私も数年後には褒めのエキスパートになっているかもしれません。

後悔していること。

こんにちは、Otamaです。

 

先日の次女の診察を横で見ていて、原因は次女の心の中ということを実感しました。

次女自身もわからず、それがもどかしく歯がゆく感じているようです。

 

とりあえず家庭にも、学校にも問題はない。

 

いじめではないことは、何よりもありがたいこと。

 

私も次女が「今日も学校休む」、と言うことに対して、今でこそようやく寛大になったというか、まぁいいかと思えるようになったのですが、中学一年生当時の夏休み明けの一ヶ月のまるまる不登校と、そのあとしばらくの定期的不登校はかなり身体的にも精神的にもしんどかったです。

 

しんどさでいうと、きっと次女のほうが何倍、何百倍もしんどかったはずなのですが、その時の私は、まだ心のどこかで休むことは、面倒くさいからだろうとかわがまま病だと思っていました。

まったく不登校が理解できていない親でした。

昨日までは機嫌よく登校していたのに、ある朝も朝食が終わってから「休んでいい?」と次女が言ったとき、「理由をちゃんと言ってよ。」と怒った顔で詰め寄っていた私はひどい親でした。

 

泣き出す次女の肩をつかんで、はっきり言ってくれないと休ませられない、と、その昨日までの機嫌の良さと、その朝の落差が理解できず、私も情けなくて泣きながら問いただしたことがありました。

自分でもなぜ学校にいけないかわからない次女にとって酷い拷問だったことでしょう。

私自身もいっぱいいっぱいだったと思うのですが、今、思い出すと後悔しかないのです。

 

よく覚えているのは、ポロポロ涙を流して泣く次女をみていると、やはり愛しさしかなかったこと。

可愛くてしかたなくて、でも、なんで学校行ってくれへんの?と悔しく思いながらもやっぱり愛しくて。

その時頭によぎったのが、もし無理に行かせて、命を絶つようなことがあったら・・・!

その考えが頭に浮かんだ一瞬で胃がずぅんと重く痛くなりました。

私は泣きながら次女を抱きしめ、分かった、休んでいいよ。と言いました。

 

次女を失うかもしれないという恐ろしい可能性を想像したとき、

 

「生きていてくれれば良い。」

 

だんだんと、そう考えるようになったのです。

 

不登校で休んでいてもなにか道はある。

少しでも力になれるよう努力しよう。

 

とにかく私自身焦らず、落ち込まず、明るく元気にいよう、そう思いました。

初めての心療内科

こんにちは、Otamaです。

 

今日は主治医の先生に紹介してもらった病院(心療内科・精神科)へ、次女と一緒に訪れました。

病院が開く時間に到着するよう行ったのだが、すでに8人の方が座っていました。

 

受付を済ませ、既往歴などの問診票を記入し、次女はまた自分で記入するアンケートのような問診票を書いていました。

名前を呼ばれ、目の前に現れた先生は、50代くらいだったでしょうか、穏やかな話し方をする背の高い男性でした。

診察室に入ると、先生の前に置かれた椅子に次女が座り、その少し離れた隣に私が座りました。

 

先生は次女と私の話をゆっくりゆっくり丁寧に聞いてくれました。

次女も先生からの質問に考え込むことが何度かあったのですが、先生はゆっくりでいいですよ、にっこりうなづいてくれました。

 

私がいると話しにくいのではないかと思い、次女と先生に

「私は外に出ていたほうがいいですか?」

と尋ねると、

次女は

「ここにいて」

と、言ったのです。

先生も私に微笑みながら頷かれました。

 

私は「はい」と返事をして、静かに先生と次女の会話を見守ることにしました。

 

次女はゆっくり、学校へ行けなくなった時期のこと、家族のこと、兄妹のこと、クラスの担任の先生のこと、行かなきゃいけないと思っていても学校へ行けないこと、でもテスト期間中は泣きながらでも学校に行ったことを話していました。

 

学校へ行こうとして時間が近づくとおなかが痛くなってトイレにこもってしまう。

 

でも家でいるときは元気?

と、先生に聞かれ、次女は家でいるときは大丈夫だと言いました。

 

先生は、それは良いことです!

 

と笑ってくれて、お兄ちゃんやお姉ちゃんとも話す?と次女に尋ねると、次女は大きく頷きました。

 

うんうん、良いですね。

と、先生は言いました。

 

その時、私は、次女にごめんね、と謝って、次女と先生に話したことがありました。

 

実は、お兄ちゃんとお姉ちゃんから、次女が学校を辞めたいと言っていることを聞いていて・・・お兄ちゃんたちも心配していたことを告白しました。

お母さんは、本当はそんなに行きたくないなら次女が高校を辞めることも考えてあげたほうがいいと思うのに、なかなかそういってあげられない・・・

 

というと、次女は私がそのことを知っていたことに少し驚いていました。

 

先生は、次女に、学校辞めたい?

と聞きました。

泣きながら頷く次女。

 

「そうか。でもな、次女ちゃん、あいにく君は担任の先生や環境に恵まれている。

だから高校に重きを置かなくていいんだよ。今は急いで辞めることを考えず、ゆっくり休めばいい。家で何か楽しいことを見つけよう。」

 

と言ってくれたのです。

 

「高校に重きを置かなくていい」

 

という先生の言葉が、ああそうだったんだ、と目からうろこでした。

 

義務教育じゃなくなった今、担任の先生も登校拒否に理解を示してくれ、「留年になる不安があると思いますが、今はそういうことは考えず、次女さんをゆっくり休ませてあげてください」と、一生懸命気にかけて言ってくださるが、どこかで高校は休んではいけない、しっかり高校で勉強してもらわないといけないと思っている私がいたからです。

 

高校の登校に重きを置いてたのは私でした。

 

それを強く感じ取っていたのが次女だったのです。

 

そして先生に聞かれるがまま、次女は家が安心すること、自分が変わらなければいけない、変わりたいと思っていることを先生に話していました。

 

もしかして自分のことが嫌いだと思っている?

 

と先生に聞かれ、次女はうつむいてしまったのです。

 

私はなんとなく次女がぽっちゃりしていることをコンプレックスに思っているんじゃないかと、以前から感じていました。

 

なにも言えずまた泣いてしまった次女。

 

その時、わかったのです。

 

次女は、自分自身に自信がないのだ、と。

 

先生も同じように感じてくれたのだと思います。

自分のことを嫌いなわけではない、自信がないのです。

 

先生は次女に「家では何をしてる?」

 

と尋ねると、次女は「スマホでゲームをしたり、絵を描いたりしている」と答えました。

 

「家は楽しい?」

 

大きく縦に首を振る次女。

 

「寝るとき以外、ずっとリビングで過ごしています」

と、私が口を挟むと、

 

「とても良いことですよ、お母さん!」

 

とこちらを見て言ってくれる先生。

 

そして次女は絵を描くのが大好きなこと、大学は美術系に進みたいことを先生に話しました。

 

「おお、良いね!高校は今だけだけど、芸術は一生だ。美術系の大学に進むといういい目標があるんだね。それに向かって頑張ってみよう。」

 

と、次女に言ったのです。

 

そして先生は「よく眠れてる?」と、次女に聞きました。

 

次女は、「眠れるけど、朝は起き辛い。」と言いました。

 

先生「夜更かししてしまう?」

 

次女「はい」

 

先生「ゲーム?」

 

次女は頷きます。

 

「スマホはやる時間なかなか減らせないよなぁ。でも寝る時間は少し早くしようか。ゲームはやめろといってもやめられないだろうから、今以上に新しいゲームは増やさないようにしよう」

 

と、次女に寄り添うように言ってくれたのです。

一時間近く話したでしょうか。本当にたくさん話しました。

 

先生は、「お母さん、心配ないですよ。このままでいきましょう。」と最後に言ってくれたのです。

先生の前でたくさん泣いて全部さらけ出したであろう次女の顔を見たら、少しすっきりしたように見えました。

通院はせずにこのまま様子を見ることになりました。

先生は帰り際、「いつでも話をしに来てください。」と笑顔で言ってくれました。

 

私たちはお礼を言って挨拶をし、診察室を後にしました。

 

帰りの車の中で、次女はよく笑いよく話してくれました。

先生が言ってくれたことを二人で思い返しながら、きっと大丈夫だと次女に言いました。

ただ話を聞いてもらいにはるばる遠くからやって来ただけのような感じで、少し拍子抜けではあったのですが、それでもわかったことがありました。

 

次女にとって家がどんなに大事な場所であったか。

これからも次女が安心して過ごせる家を維持しようと思いました。

 

そして、私は改めて決心しました。

 

次女の心のコップに、自信の水をたくさんたくさん注ぎこむことを。

心療内科と精神科

こんにちは、Otamaです。

 

我が家には長年お世話になっている主治医の先生がいらっしゃいます。

 

子供たちもその病院ができたころからずっとお世話になっており、私たち夫婦にとって信頼できる先生です。

 

次女の心療内科受診について考え始めたとき、ちょうど主治医の先生のところへ健康診断に行くことがあり、思い切って先生に相談してみました。

次女が中学時代から登校拒否であることも知っていてくれるので、心療内科を探しているという話も親身になって聞いてくれたのです。

 

学校へ行く日はおなかが痛くなりトイレにこもり出てこないこと、行かなければいけないと自分で思っているのに行けず泣くことなどいろいろ思いつくことを先生に話すと、

心療内科と精神科を併設しているところがいいのではないかと教えてくれました。

 

おなかが痛くなったりする症状がでているのは心療内科、不安定な気持ちは精神科。

両方診れる先生がいいと思います、と言ってくださいました。

 

お恥ずかしながら、私は精神科と心療内科の違いさえも知らなかったので、勉強になりました。

 

あと、先生がおっしゃられたのは、「思春期外来」があるところならなおさら良いと。

 

さらに先生は「私も心当たりを友達(医者仲間)に聞いてみますね。また電話します。」

 

と言ってくださって、実際すぐにあちこち尋ねてくれたようで、翌日早々にわざわざ家に電話をくれたのです。

ここまでしてくださるなんて・・・(´;ω;`)

 

何度もお礼を伝えて、勧めてくれた病院にさっそく電話をしてみました。

 

そのうちの最初の一軒は、心療内科・精神科のほか、児童の思春期外来もある、子供からお年寄りまでメンタルヘルスケア専門の総合病院のような大きな病院で、ここで診てもらえたら・・・と思ったものの、電話で聞いてみると・・・

 

7月の予約は締め切ったので、8月に入ったらまた予約を再開します、と言われました。でももし予約が取れたとして、診察を受けられるのはずいぶん先の11月以降だとも言われました。

 

驚きました。

私が思っている以上に、いったいどれだけ心になんらかの痛みをもった子供たちがいるのでしょう・・・

 

またそれに伴い、胸を痛めている親も多いことでしょうか。

病院探しも根気がいるのだな・・・

 

本当は待てばいいのでしょうけれど、すこし気持ちが切羽詰まっていた私は、主治医の先生が勧めてくださったもう一軒の病院に電話をしてみました。

そこで登校拒否を伝えると、「大丈夫ですよ」言ってくれるところがあったのでその病院に行ってみようと思っています。

 

お医者様との相性もあるだろうから、次女が話しやすい先生だといいな。